香翠座は天保4年10月に円座に円座のデコ人形(ふくさ人形)として生まれ190年間の間、紆余曲折がありつつも地域の皆様に愛されてきました。発足した当初は人形を1体1名で使う一人使いだったようで人形の頭は松の根っこを削って作り、袱紗(ふくさ)を衣装に使う、円座の袱紗(ふくさ)人形と呼ばれて、農閑期には、遠く岡山、広島の方に巡業を行っていたそうです。

江戸末期には高松藩、藩主の連枝で、松平頼該(よりかね)またの名を金岳公子(通称左近様)が円座に香翠座が有る事を聞きつけて、当時のお屋敷(今の亀岡小学校)で人形芝居を演じさせ、人形2体と田畑7畝を維持費に当て末永く残すようにと下されました。田畑は、西永井でデコ地と呼ばれていますが、戦後の農地解放で、香翠座の手を離れています。また左近様は徳川幕府の連枝でありながら勤皇派と繋がっていました。そして高松に来た勤皇派の志士を中国地方に逃がすのに、香翠座地方巡業の中に紛れ込んで逃がしていたと伝わっています。

その後大正時代には円座の袱紗人形から阿波の名工「天狗屋久吉」通称天狗久の人形に変わりさらに演目と表現内容が拡がりました。しかし戦時中、活動は一時中断を余儀なくされ、戦後映画など娯楽の多様化で衰退をしましたが、昭和30年に「香翠座デコ芝居保存会」が結成され、昭和37年に香川県有形民俗文化財、平成16年には無形民俗文化財に指定されました。現在、香翠座が所有している有形文化財に指定されている人形は約50体ほどあり、実際に演目等で使用する人形が12体ほどとなっています。

香翠座の大きな目的は郷土芸能の掘り起こしと普及啓発です。消えつつある郷土芸能をさらに掘り起こすため啓発活動として近々では「創始190年記念事業」を開催しました。また毎年、地元小学生、中学生など後継者育成を行って掘り起しを推進し、更なる伝承と後継者育成の周知になり地元住民への普及啓発を具体化して活動を行っています。